幻の今井焼「宮ヶ洞窯跡」を探して

さあそれでは、今回の→今井街道サイクリング←最大の目玉、謎の『宮ヶ洞窯跡』探索に入ります!宮ヶ洞窯は、犬山焼の祖と言わる「今井焼」を焼いていた窯。

今井焼は、宝暦年間(1751-1763)から 「犬山」等の窯印を捺して焼き出されていました。碗類、皿類、鉢類、瓶・壺類、その他などの器種組成から江戸時代の瀬戸・美濃窯製品に共通する特徴があります。また、各器種には、主に鉄釉・飴釉、灰釉が施され、犬山焼の製品とは明らかに異なる作風を示し、現在では別系列のやきものとして位置付けが可能となっています。美濃焼の陶工による今井焼の時代は安永10年(1781)3代目窯主、奥村太右衛門が没してしてその終わりを告げました。

我らが美濃焼の分派なんですねぇ。それを焼いていた幻の窯が山の中に埋もれているとあっては、土岐の探検家(なのか?)の血が騒ごうってもんです。以前、美濃焼の歴史上最重要の窯の一つ→牟田洞窯←を探索したわけですから、まぁ不思議なご縁というもの。

ウェブ上にはその場所についての情報が一切なかったですが、どうやら「宮ヶ洞」とは地名である事が分かりました。「今井」の「宮ヶ洞」という地区。それは前回記事でも書いた「石作神社」の周辺でした。しかし、その辺りをウロウロ歩けども、窯跡の場所が分からない。そこで、近くの家の方に声をかけました。するとなんと、その方が一緒に行ってくれると言うのです!

その方の後にくっついて5~10分、山道を登り、畑の畦道を行くのですが、こりゃ絶対、案内してもらわないと分かりっこないわ~・・・・w

140911imai9.jpg

鬱蒼とした森の中の窪んだ場所に、おびただしい数の陶片が散乱していました。窯の形跡は全くなく、陶片の存在で初めてそこが窯跡と分かる状態。

140911imai8.jpg

陶片はどうやら、今井焼そのものではなく、匣鉢(陶磁器を焼く時に、素地を火炎その他から保護し、影響を受けないようにするための用いられる耐火性の容器)のようでした。

夢中でカメラを覗いていて、ふと気づいたら、全身やぶ蚊にやられていました。

案内してくれた方は下山後、ムヒを貸して下さり(笑)、採れたばかりの栗をお土産に持たせてくれました。何から何までご親切にありがとうございました!




コメント

非公開コメント

プロフィール

EYK

Author:EYK
2つのバンドでドラムを叩いてます。
名古屋を中心に活動するインディーズ・バンド『ニコルデカ』
★7/8(日)LIVE@大須 ell.SIZE♪
★11thアルバム『士(サムライ)』好評発売中♪
★ベスト盤『better』(1st~7thアルバムから選曲)好評発売中♪

世界に愛と平和をもたらすために結成された名古屋発スーパーバンド『ビートエフスキー』
★メンバー育休中につき、しばらくライブはありません。

twitterやってます

instagramやってます

カレンダー

06 | 2018/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

月別アーカイブ

ブログ内検索