【土岐市肥田町ディープ探索④】上肥田村 編
いよいよ最終回となりました、肥田町ディープ探索。最後は上肥田です。※クリックすると拡大します。
実際に訪れた場所を赤色でマークしてあります。
まず何と言っても、肥田町を代表する、いや、土岐市でも屈指の知られざるド級遺構と言えるのは、瀧洞山観音堂周辺(役行者の磨崖仏や八十八弘法など)。これについては過去記事で詳しく書いてますので、今回は割愛。
地図⑤の辺り、上西化学のすぐ上を越えるように道がついてます。上肥田と、瑞浪の小田を結ぶ古道ですが、その道中には、遺構がわんさか。
詳細不明の石仏群
「肥田町史」にも載っていません。これらのうち二つにはそれぞれ「一番」「三十三番」と彫られており、その間の31体(ニ番~三十ニ番)がどこにあるのか、気になります。もしかしたら、天福寺の三十三観音の中の2体かな、と思って、天福寺の石仏の数を数えてみたのですが、ちゃんと三十三体ありましたね。と、すると、ニ番~三十二番の石仏は、一体どこにあるんでしょうね?
この石仏群から更に峠まで登ると、この東山の稜線上に遺構が点在していました。
雷神と浅間神社
不動明王と常夜灯
自動車などなかった頃は、上肥田と瑞浪の小田を結ぶのに下肥田を経由していては遠回りなので、この東山を超えて頻繁に行き来していたようです。
遊児庵(地蔵堂跡) (地図⑭)
東山霊園のすぐ下にある小さな庵。画像は、その道路脇に並ぶ石造物群。
詳細不明の石仏 (地図⑭)
東山霊園の最上部、鉄塔の足元を見ると、アンティーク感たっぷりの石仏。しかし、「肥田町史」にこれについての記述はありませんでした。
かん洞の石仏群 (地図㉒)
地図㉒の地点へ向かうと、まず道路脇にこの馬頭観音が迎えてくれます。赤いよどかけが掛けてあり、今なお誰かががメンテナンスしている様子。
そこから少し進むと、未舗装の古道が右に分岐し、それを行くとこの石仏群が。
こんな所にこれほどの遺構が。未舗装道なので、知ってる人じゃないとまず立ち入らないでしょう。
10mほど離れた所にまた馬頭観音。
そのすぐ近くには、半分埋もれた状態の道祖神碑。「左 おり いわむら」「右 だち みかわ」と書かれているらしい。
県大明神 (地図⑯)
県の集落に臨む小高い丘に山の神と並んで祀られています。
金比羅神社 (地図⑲)
山の中腹にそれはあるのですが、入口は藪に覆われ消えており、竹林の中をさんざん凝視してようやくその奥に道筋らしきものを見つけ、無理矢理藪を掻き分けて突入。
するとすぐに、ご覧のような夥しい数の倒れた竹に行く手を阻まれ、閉口・・・。これもどうにか越えると、広場状の所に神社はありました。
参道がこんなんだから、当然訪れる人もなく、打ち捨てられていました。伝統文化が消えていく残念な気持ちと、誰も知らない遺跡を発見したかのような屈折した興奮とが入り混じった変な気持ちです。
これにて「肥田町ディープ探索」シリーズは完結!
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